外科の歴史

外科の歴史について

歴史的に外科は戦争での傷病者の手当と縁が深い。看護師の粗、ナイチンゲール女史がクリミアに赴いたのも、戦争による傷病者の惨状を見過ごせなかったからだと言われている。

 

漢代の司馬遷の『史記』には将が矢傷を受けた部下の膿を口で吸いだす

 

(感染症の恐れがあるため現代では禁忌)描写がある。

 

特筆すべきはヨーロッパが育ててきた医学とペルシャ・アラビア医学における患部の処置の違いであろう。

 

 

傷を受け、患部に膿がたまった兵士の処置をするのにヨーロッパでは足もしくは腕ごと切断したのに対し、
アラビアでは切開によって対応したと言われている。

 

おそらくは死者の復活を固く信ずるカソリックの伝統では腑分け、つまり解剖に対する抵抗が強く人体構造への理解が進まなかったためであろうと言われている。縫合などの技術もアラビア等で温存されていたと言われている。

 

 

因みに、東洋の医学における腑分け図(つまりは解剖図)と『ターヘルアナトミア』邦訳で『解体新書』と呼ばれるものとでは臓器の形が異なるのは東洋では解剖の対象となる罪人もしくは無宿者の身体を吊るして解剖したのに対して、西洋では横に寝かしたまま解剖したことによると言われている。